2008年11月30日日曜日

ボンデージ

スーパーの特売で豚バラ肉かたまりを見つけ「これは角煮を作るしかないでしょう♪」とルンルンで買ってきたものの、いざ調理を開始しようとしたら……肩ロース肉でした。こーいう凡ミス、よくやるんだよなぁ(-_-;)

嫁さんには「私が同じ間違いしたら、めちゃめちゃ怒るでしょ?」と嫌味を言われつつも、凹まずに軌道修正。煮豚を作るためにかたまり肉をたこ糸でグ〜ルグル♪

2008年11月29日土曜日

竹馬と一本歯下駄

小学生の頃、学校で『竹馬運動会』なる行事が開催されたことがあった。竹馬に乗ってかけっこやリレー、障害物競走など行うのだ。

私も父親の作ってくれた竹馬を担いで嫌々ながら参加した。なにしろ当時は超のつく運動音痴。竹馬はおろか、自転車にも上手く乗れなかったのだから。竹馬はなんとか歩くことは出来たが、行く先は竹馬任せ、止まる時には転ぶしかなかった。

そして竹馬運動会の当日、私は竹馬リレーの選手になった。

徒競走は万年ビリで、最後尾をヘラヘラ笑いながら走るのが精一杯だった私が、なぜ花形競技の選手に選ばれたのか、今となっては覚えていないが、私にとって、とてつもないプレッシャーだったことは確かだ。

普通に走ってもビリッケツの私が、竹馬に乗って速く走れようはずかない。子供ながらに悩みに悩んだ末、出した結論は「わざと派手に転んで、のたうち回って痛いフリをして棄権させてもらおう」という猿知恵。

タスキを受け取ると、やけくそで竹馬に飛び乗り、そのまま派手にぶっ倒れるつもりで足を出した。顔面からグラウンドに突っ込むつもりだった。

一歩。
二歩、三歩。

地面はすごい勢いで迫っては来るものの、顔面へは向かってこず、足下へと流れていく。冬の寒風を追い抜かんばかりにスピードがあがる。竹馬の大きなストライドが身体を前に運んでいく。まるで見えない力に身体を引っ張られているようだ。

「凄げ。
 凄げぇ、凄げぇぇ!」

それまで体験したことのない速度域に達する。前を行く同級生を一気に追い抜く。文字通り、宙を飛ぶような心持ちだった。


あれから幾星霜。
唐突のようだが、話は先日購入した一本歯の下駄に移る。半ば勢いで購入したようなものだが、前々から「あれなら稽古せんでも履けるわい」という妙な自信があった。

最初は歩くのさえ難しいだの、まずは受身の稽古しろだの「バカ言ってやがらぁ」と鼻からナメてかかっていた。

んで、現物が届いた。
結果から言うと、普通に歩ける。前に進むも後ずさりするも、カニ歩きだって、ケンケン跳びだって問題なし。ジッと一ヵ所に立ち続けるのはチョイと難しいけれど、これは慣れと時間の問題だろう。

下駄の上であれこれ試しながら、ふと思い出したのが本稿冒頭の竹馬の話だ。だって体の感覚が同じなんだもん。妙な自信の根拠が30年近く前の竹馬体験とは……もしかして、オイラってば凄い?(笑)

調子に乗って、柔術の稽古をしてみる。
歩けるんなら蹴れるだろう。

下駄履きでの蹴当。
蹴れる、だったらいけるぜ!

蹴れるんなら、突けるだろう。
追い突き……見事にコケた。

すんごい勢いで前方にブッ倒れた。バイクのコーナリングでハイサイドを喰らったのと同じくらいの勢いだった。久しぶりの前受身。うん、やっぱり受身は稽古しておいた方がいいな(w 顔面を地面に叩き付けたくなければ、ね。

ともあれ、しばらくはこいつで遊べそうだ。いい買い物したなぁ。目指すは一本歯下駄を履いて六尺棒を自在に振り回す、人呼んで愛鷹天狗。そんでもって今年5歳の甥っ子のソンケーとセンボーのマナザシを独り占めだぁ!!

追記:ちなみに、小学校の竹馬運動会ではゴール直前に大転倒。受身の“う”の字も知らなかった私は派手に顔面着地。思いっきり運動場にキスしたのも甘酸っぱい思い出……かな?

2008年11月27日木曜日

東天の獅子

久しぶりに小説を読んだ。

5年ぶりだろうか。ここんとこ、読む本といえば怪我や病気、解剖学、スポーツ生理学などに関する専門書や学術書ばかりだったからなぁ。

時は明治、文明開化の荒波に揉まれながら、もはや時代遅れとまで言われていた柔術に日本という国の明日を見いだす嘉納治五郎と、その背中を追うように集まってきた若者たち。彼らの熱意は嘉納流柔術として武道界に新風を吹き込み、ついには世界の柔道として昇華していく。

この本を手に取ったのは岩手への旅行の途中。新幹線の中でのヒマつぶしのつもりで第一巻を買ったのだが、目的地に着く前に一気に読了。おさまらぬ興奮に「これがタマルかっ!」と、ついつい九州弁が口をついて出て、周囲の東北人をギョッとさせたのはここだけの秘密だ。で、帰宅までに第二巻第三巻を買い込み、むさぼるように読んだ。わざわざ旅先でハードカバーの単行本三冊分も荷物を増やさなくてもいいのにねぇ(w

もうね、文句なくおもしろい。明治期の柔術界の描写は、その熱が紙面を通して伝わってきそうなほどだ。柔術に命を賭けた好漢たちの姿は、いつか御宗家に聞いた先々代関口流柔術宗家山野栄三郎先生の昔話に通じるものがある。

ただし、あえて不満を述べるとすれば……

なにしろ筆者が筆者だけ(!)に、おそらくは物語の最終到達地点としてバーリ・トゥードが想定されており、それゆえに格闘シーンも寝技の局面にかなりの紙数が割かれている。これは個人的に疑問を持たざるをえない。はたして当時の柔術試合で、現代の総合格闘技のグラウンドのようなねちっこい展開がありえたのだろうか。柔道以前の寝技は、それ以降のものとは全く別だったはずだ。少なくとも、私が伝え聞いた“柔術の寝技”とはこのような技術ではなかったはずだが……うぅ〜ん。

もうひとつ。嘉納治五郎と同時期を生きた不世出の武人、大東流合気柔術の武田惣角が重要なキーパーソンとして登場するのだが、この描写も………うぅ〜ん。所詮は小説といえばそれまでなのだが、他の柔術家の描写がかなり現実的なのに比べ、大東流に関わる人物については、その描写に夢とロマンをかなり上乗せしてしているのが目立つんだよなぁ。

しかし、バーリ・トゥードと合気柔術という相容れないふたつの流れをひとつのストーリーの中に織り込むことにより、物語の面白さは二倍にも三倍にもなっている。私の生半可な知識によるマニアックな指摘など吹っ飛ばしてしまうほど魅力的なストーリーだ。ここは夢枕節を炸裂させてほしいもんだな。

で、そんな大東流サイドの登場人物として登場するのが志田四郎という青年だ。講道館四天王のひとりに数えられ、山嵐という必殺技でその名を轟かせた後の西郷四郎その人(写真上)である。あの姿三四郎のモデルとしてご存知の方も多いだろう。そんな彼が作中である履き物を履いているのだが、この小道具が志田四郎という男を描写するのに効いているのだ。

これから読まれる方の楽しみのために詳しく書くことは避けるが、あるシーンにシビレた私は、ついに「ポチッとな」してしまいましたよ、ネットショッピングのオーダーボタンを(w これまで、その履き物といえば某武術研究家氏の馬面が浮かんでくるので興味を持つこともなかったのだが、ついにやっちまったかなぁ。


『東天の獅子 第一巻 天の巻・嘉納流柔術』(夢枕獏著/双葉社/ISBN978-4-575-23637-8/本体1800円+税)

キターーーー!!

すーさん、ありがとうございました!

2008年11月24日月曜日

カルテNo.001 〜最初の患者さん その2

手術の数日前、入院を済ませた嫁さんと私はT院長から手術についての説明を受けた。インフォームド・コンセントというヤツだ。

嫁さんが受けるのは臼蓋回転骨切り術(RAO)と呼ばれる術式である。骨盤の一部を切り取り、繋ぎ直すことで股関節の角度を変え、体重をしっかりと受け止められるようにする手術だ。全身麻酔による大手術である。

院長と私たちの間では以下のような事柄が話し合われた。

執刀はT院長自身が行うこと。
院長の娘である女医がフォローを行うこと。
ビキニラインに沿ってメスを入れるので、手術跡は目立たないこと。
嫁さんの希望を入れて、極力人工骨は使わず自骨のみで行うこと。

ここでも嫁さんは様々な質問をT院長にぶつけていた。彼女は入院前、インターネットで自分の症例や受ける手術についての知識をたっぷり仕入れていたのだ。

そのやり取りを聞きながら、私は言いようのない不安に駆られていた。T病院は何かが変だった。洒落た制服を着た美しい女性の立つホテルのような受付、当時はまだ珍しかった大型の液晶テレビが壁にかけられた待合スペース、隅々まで磨き上げられた診察室では利発そうなナースがキビキビと立ち働いている。外来病棟はすべてが清潔で豪華。

その裏手にある入院病棟は別世界だった。素人目にも設備は古いのはすぐに分かった。いや、設備だけでなく、空気も、人間も、すべてが暗く煤けていた。

併設の介護施設から移ってきた老人たちが入院患者の約半数、1フロアを占めていた。そのフロアには糞尿と、ある種の人間が発する特殊な匂いが常に漂っていた。昔、祖父母を看取った時に嗅いだ匂いだ。常に誰かの唸りとも叫びとも取れない声が響いていた。

働いている看護士は誰もがくたびれ果てていた。准看資格しか持たない者も多かった。その中には派手なメイクにマニキュア、アクセサリーで飾り立てた風俗嬢がコスプレをしたようなナースさえいた。

嫁さんもその事を敏感に察していたようだ。

「看護婦の○○さん、コレの事を知らなかったわよ。『オーバーじゃないの?』って。前に手術を受けた人はどうしてたのかしら」

コレとはマジックハンドのことだ。

RAOを受けると少なくとも3週間は寝たきりとなる。体を起こすこともできない。切り離した骨盤がつながるまでは体重を支えられないのだから当然だ。その間、身の回りの物を取ったり引き寄せたりするのに入院患者が使うのがオモチャのマジックハンドなのだ。RAOを受ける患者の必須アイテムとのことで、入院前に二人でトイザラスに行って買い求めたのだ。

T院長は言っていた。「症例としては少ないが、決して珍しい手術ではない。うちの病院でも年に何人もオペしている。経験は豊富だ」と。

何かがおかしい。しかし、私はそんな不安を口に出せずにいた。下手なことを言ってT院長の機嫌を損ねたら、これから大手術を受ける嫁さんは……。そんなことを考えるのはおかしいのは分かってはいた。分かっていても言葉にも態度にも出せなかった。まるで人質を取られたような気分だった。

そして、手術の日が来た。

嫁さんは小さな体をストレッチャーに乗せられ、手術室に入って行った。小さく手を振っていた。たぶん微笑んでいただろう。元より気丈な女だ。

私はどんな顔をして見送ったのだろうか。どこで、どのように、何を思って手術を終わるのを待っていたのだろうか。手術はどれだけの時間がかかったのだろうか。どんなに記憶を探っても思い出せない。思い出せるのは手術室から出て来た嫁さんの顔だけ。彼女の青白い顔が、あの日のすべての記憶を消し飛ばしてしまったのだ。

〜つづく

2008年11月22日土曜日

カルテNo.001 〜最初の患者さん その1

私が南龍整体術を学び始めて最初に診た患者、それは誰あろう私自身の嫁さんである。そもそも、私が南龍整体術を身に付けたいと思ったキッカケのひとつは彼女にあるのだ。

彼女が足の痛みを訴え始めたのは、もう6年以上前のことだ。当時、実家の家業は気が狂うほど忙しく、二人とも朝から晩までドロドロになって働いていた。「痛い痛い」と言いながら足を引きずり、それでも頑張り屋の彼女は休まず働いていた。私は「きっと疲れがたまっているだけなのだろう。そのうち良くなるさ」と重く考えなかった。私自身も疲れ果てており、考える余裕もなかったのが正直なところだ。

ところが、彼女の足の痛みはなかなかひかず、常に痛みや違和感を訴え、歩くのさえ一苦労な様子。こんな状態になって、初めて病院を受診する。当時、スポーツ外来があったG殿場のT病院だ。以前に書いたが、同時期に私も足を痛めており、夫婦そろっての受診となった。

T院長は骨盤のレントゲン写真を私たちに見せながら、こう言った。

「奥さんは臼蓋形成不全です。骨盤の太ももの骨が入る穴が生まれつき普通より浅く、体重を支えきれないために痛みが出るのです。これは手術をしないと治りません」

私はボンヤリとその診断を聞いていた。レントゲン写真を見てもなお、事の重大さ、深刻さを理解できなかったのだ。

「分かりました、手術を受けたいんですがどうしたらいいですか?」

言葉を発したのは嫁さんだった。術式や入院期間、リハビリの方法などを矢継ぎ早に質問していく。T院長は面食らった表情で、シドロモドロになりつつ質問に答える。

「保存療法で様子を見てから……」
「いえ、治るのならば手術を受けたいんです」
「しかし、すぐに決めなくても……」
「いいえ、できれば急ぎたいんです!」

ただでさえ言い出したら聞かない性格だ。治療を急ぐ理由もあった。もはや彼女の気持ちは固まっているらしい。私は「あ、治るんだ。良かったなぁ」と呑気にそのやりとりを聞いていた。帰りのクルマの中で、彼女は妙にはしゃいでいた。「良かったぁ。絶対治してやる。私、頑張るからね!」

しかし、私たちの希望はあっという間に叩き壊され、日本の医療の現実を嫌というほど見せつけられることになるのだ。

〜つづく〜

2008年11月18日火曜日

今日の富士山

たぶん山頂は吹雪。明日からは麓も冷え込むらしい。そろそろストーブの準備をしなきゃ。

2008年11月17日月曜日

看板

あまりの場所の分かりづらさに問い合わせや迷子(!)が続出するので、ついに看板を上げました。当院は浮島緑地公園隣です。入口は奥まっていますので、看板に沿って敷地内へお進みくださいm(__)m

2008年11月16日日曜日

一路平安

素晴らしい結婚セレモニーに参列して、幸せな気分をたっぷり分けてもらい、しこたま呑んでベロンベロンになり、案の定少しばかり恥をかき(笑)、旧友と久しぶりに熱く語り合いました。

帰路途中に天下一元気な街をぶらついて、あわよくばたて巻きカールのお嬢さんと仲良く……とも思いましたが、地震でもないのになぜか地面は揺れているし、ギターケースと引出物を両手に下げているので今回は見送り。

東に向かう新幹線の車中でこれから昼飯です。今朝の『所さんの目がテン』で駅弁の秘密を勉強したばかりなので旨さも二倍三倍……かな? その前に軽く迎え酒が必要ですけど(^_^;)

明日からは通常営業で頑張りますm(__)m

2008年11月15日土曜日

ギターを持った渡り鳥

今日明日とお休みを頂いて旅に出ています。ギターを抱えて気分はマイトガイ小林旭か、キカイダーのジローか?

2008年11月14日金曜日

鶏肉と大根のシンプルおでん

我が家の冬の定番。作り方は簡単。

フライパンで鶏もも肉を皮目がパリッとするまで焼き、ひっくり返して色が変わったら引き上げる。

同じフライパンに輪切り大根(思いっきり厚く皮を剥き、隠し包丁を入れれば完璧!)を並べ、両面に軽く焦げ目が付いたら日本酒を1/2カップ。ひと煮立ちさせる。

土鍋にたっぷりの昆布を敷き、その上に大根、さらに鶏肉を置き、フライパンに残った汁、ヒタヒタの水。あとはコトコト煮込むだけ。

程よいところで薄口正油小さじ1と塩を適量。味付けというより風味付け程度にね。

柔らかく煮えた鶏肉をほぐして、練り芥子で召し上がれ。スープも美味。シメにご飯にかけてお茶漬け風なんてのもイケますよぉ〜(o^-^o)

2008年11月12日水曜日

ホワイト白菜シチュー

急に冷え込んできたので、身体を中から暖める料理をつくってみた。

市販のホワイトシチューの素のレシピ通り、鶏肉と玉ねぎ、にんじん、じゃがいもなどを切り分け、油で炒める。この時、少し大きめの深なべを使うのがポイント。

具材に油が廻ったら、水を1カップ入れて、具材の上にざく切りにした白菜を山ほど、気のすむまで、ぎゅうぎゅう詰めにして入れる。我が家の場合、5皿分で1/4株を入れる。で、無理やりにでもフタをしたら、弱めの中火でコトコト。

すると、あ〜ら不思議♪ 白菜から滋味あふれる水分が染みだし、なべの中はあっという間にヒタヒタに。ここにシチューの素を割り入れれば、おいしい白菜シチューの出来上がり(o^-^o) 濃度調整には牛乳を使うと吉ですよ。

追記:先日来た患者さんが「先生のこと、近所のスーパーで見かけたことありますよ」と。目撃されてましたかぁ……って、ほぼ日参してるから当然かも(笑) もし、オレンジのマイバックを抱え、携帯電話の画面(お買い物メモ)を見ながら店内を駆け回り、マッハの速さで買い物をしていくヒゲ面の怪しいおっちゃんを見かけたら、気軽に「こうちゃん♪」と声をかけてくださいね。身体の不調から今夜の献立まで何でも相談に乗りますよ(^_-)−☆

目指せ主婦のアイドル。同名の料理研究家には負けないぜ……って、どーいうライバル心を燃やしてるんだか(´・ω・`)

2008年11月10日月曜日

元祖、飛び出す絵本

患者さんにお待ちいただいている間や、付き添いの方の暇つぶしにでもなればと、こんな絵本を買ってみた。

紙面に切り抜かれた人体のパーツが貼り付けられており、ペロンとめくることにより、楽しみながら人体の構造を立体的に把握できる仕組みだ。

ところが患者さんのためと言いながら、今のところ一番喜んでいるのは私自身だ。骨格系や筋肉系はひと通り頭に入っているものの、諸臓器の位置や相関関係はかなり曖昧だったりするからだ(^_^;)

ちなみに『飛び出す絵本』の元祖は、内容的にこの本とほぼ同じ。昔日の医学生が解剖学を学ぶための真面目な教材だったという。

しっかしまぁ『仮面ライダー飛び出す絵本』のライダーキックのページを飽きずに開いていたガキが、不惑目前になって飛び出す絵本でお勉強しようとは。三つ子の魂なんとやらだな(笑)

なお、この絵本にはもうひとつうれしい気配りがなされている。子供向けだからといって手を抜かずに各部の名称は正式なものを漢字を使って表記してある。しかも総ルビ(ふりがな)付き♪ 今まで間違って読んでいた部位がかなりありました。

いやはや独学で学ぶってのはいろいろ大変だわ。とか言いながら楽しくて仕方ないんだけどね(^_^)

『人体絵本-めくってわかる からだのしくみ-』(ジュリアーノ・フォルナーリ/ポプラ社/本体2000円+税/ISBN978-4-591-05190-0)

2008年11月8日土曜日

見ぃたなぁ〜!

私の師匠である寺西御宗家から聞いた修行時代の話。

関口流柔術の先代宗家である富田先生という方は、柔術であれ、整体術であれ、技を伝える際に言葉での説明をほとんどされなかったそうだ。「今日はこの技を教える」と宣言されると、目の前で術を一回使ってみせるだけ。

「見たな」
「はいっ!」
「よぅし、ではやって見せい」

で、必死になって技を真似するも、先生からはなんの指導もアドバイスもない。良いも悪いも言わない。質問は受け付けない。というより、先生が怖くて質問などできなかったそうだ。

かつてはそのような指導法が当たり前だったという話を聞いてはいた。だが同時に、そんな昔話の残る現代武道(流祖は古流出身者が多い)では、実質的な術儀が失伝してしまっているところも多いのも知っている。

では、なぜ当流の場合は術儀の伝承がなされたのか?

脳と神経について調べていたら、その答えとなりうる記述を見つけた。人が動作をイメージする時、実際に体を動かしていなくても、その動作をつかさどる脳の部位が活発化するのだという。つまり、見取り稽古(今風に言えばイメージトレーニング)は『脳の中の体』を使った稽古といえるのだ。肉体を動かさずとも、意念の力で術儀を身に付けることができる。古の伝承者たちは、間違いなく、そのことを知っていたのだ。

もちろん、桁外れの集中力と観察力、ポイントを見抜く『目の付けどころ』の良さがなければ無理なハナシだし、それ以前に脳内で練った動きをアウトプットするために土台となる肉体を作っておく必要がある。当流でも『地下練り三年』といい、最低三年は流儀のための体を作るための地味で単純でキツい稽古を続けなければならない。

分かってるとは思うけど、ビデオやDVDを2〜3度見たからといって、どうにかなるもんじゃないってことは肝に銘じておいてほしい。

ちなみにこれは余談だが、小さな子供がテレビの特撮物を観ていて、ヒーローと一緒に戦いだしてしまったり、お気に入りのアイドルの振り付けをあっという間に覚えてしまうのは、こういった脳内のはたらきによるものなのだ。

ついでにもうひとつ。現代武道を修行していた時によく見た風景。指導者が皆の前でお手本を披露している時に一緒に技の動作をやりはじめてしまう者がけっこういたが、そういった連中は必ずといっていいほど技の勘所を見逃していた。これは個々の集中力の欠如もあるが、言葉に頼り過ぎた指導の弊害なのかもな。“耳で見て、目で聞く”ことができなければ、どんなに幾千の言葉を尽くして指導してもすべては無駄になるという典型例だったのかもしれない。

で、話は戻るが、寺西御宗家がおっしゃるには「今の儂の指導の仕方を先生が見たら『お前はアホか』と怒られるかもしれん」と。手取り足取り、時に流派の秘伝まで惜しみなく公開しているからだ。しかし、その御宗家の親身な指導のおかげにより、わずか三年という短期間でどうにか整体術が使えるようになれたのだから、弟子の私としては、今後御宗家が指導法を旧来の「見たな。では、やって見せい」方式に戻さぬことを心から願うばかりだ。

もちろん、そんな心配は杞憂でしかない……ですよね、御宗家?(^-^;

追記:いつもながら、画像は本文とは関係ありません。最近購入した素焼きの焼酎サーバ。中身はいつもの安い麦焼酎だけど、紙パックから注ぐよりもおいしく呑めるのは気のせいかな?

2008年11月7日金曜日

カボチャのヨーグルトサラダ

ガキの頃、カボチャは大嫌いだった。しかし、宮崎県はカボチャの名産地。黒皮カボチャの煮物の鉢を挟んで「好き嫌い言わんと食べんね!」「いらん! すかんモンはすかんけェ食わんわい!」と何度母親とケンカしたことか。

そんな偏食児童がカボチャの旬には自ら調理し、バクバク食べるようになるんだから、人の好みなんて変われば変わるもんだよ。

今回作ったのは我が家の定番。短時間で簡単にできる楽チンサラダだ。

1.カボチャ1/4個の皮ををむき、ひと口大の賽の目に切る。

2.耐熱皿に入れて、湿らせる程度に水をかけ回し、ゆるくラップをかけ、レンジへ。

3.チン♪してホクホクになったカボチャにマヨネーズと低糖ヨーグルトを各大さじ3杯。塩コショウはお好みで。正油をチビッと垂らすのもアリかな。

4.今回は仕上げにレーズンを散らしてエコでロハスでスイートな感じ(?)を狙ってみた。

カリカリに焼いたベーコンを刻んで混ぜればコクが出てアメリカ〜ンな感じになるし、隠し味にオリーブオイルをひと垂らしして乾燥パセリを散らせばイタリア〜ンな感じにもなるよん♪
ぜひお試しあれ(^_-)−☆

2008年11月6日木曜日

人体 失敗の進化史

書店で画像のキャッチコピーに目を奪われ購入した一冊。言うなれば"腰巻き買い"だ。クリックひとつで翌々日には自宅に欲しい本が届くアマゾンは便利だけど、インクと紙の香りを楽しむことはできないし、なにより、こんな思わぬ出会いがあるから本屋通いはやめられない。

さて、この本の著者だが、獣医師であり、動物の遺体を解剖することにより、そこに隠された進化の謎を解き明かさんとする『遺体医学』を提唱する京大霊長類研究所教授。

当然ながら『バカの壁』の養老先生や法医学の上野先生とは視点も考え方も大きく異なる。乱暴にいうと、動物のお医者さんが書いた人体の不思議の本なのだ。

とはいえ、読むのに難しい専門用語や医学知識は必要ない。晩御飯に出たサンマの塩焼、フライドチキンの骨などから話は始まり、気がつけば人体が辿ってきた、行き当たりばったりトライ&エラーの進化の歴史を時に呆れ、苦笑いしつつ理解できる寸法だ。

個人的に興味深かったのは、著者が指摘する人体の不完全性や、ある種の整合性の低さは、私が整体を学び、人に術を施すようになってから感じていた疑問のいくつかの答えとなりうるってことだ。

ついでにもうひとつ。南龍整体術の源流である関口流柔術には、このような口伝が代々伝わっている。

『人間、病を得たら動物に戻れ』

これは流派の秘伝でもあるので詳細については記述できないが、この本の内容を逆さに解釈(?)すれば、この言葉の持つ深い意味が見えてくるかも?

しっかし、こりゃある意味凄いことだよなぁ。解剖学も進化論も知らなかった四百年前の人が、経験と観察力によってズバリ真理を導き出しているんだからさ。


おっと余談が過ぎたな(^_^;) とにかく、義務教育で習った初歩のダーウィン進化論で知識がストップしたままの脳みそに刺激を与える面白本として、また一風変わった人体の解説書として、治療家ならば、患者さんとの世間話のネタにもなるよ。あしたか院長おすすめの一冊です。

『人体 失敗の進化史』(遠藤秀紀/光文社新書/本体740円+税/ISBN978-4-334-03358-3)

2008年11月4日火曜日

運転姿勢と長財布

以前から、一部の若いドライバーの運転姿勢が気になっていた。

特に多いのが、ヘッドレストに頭が乗っていないドライバーだ。ヘッドレストを外し、キャルルックを気取っている自己防衛意識の低い連中は論外。そーいう奴は一度鞭打ちになってみるといいだろう。

そうではなく、私が言っているのは、だらしなくセンターコンソールにもたれかかってハンドルを握っている連中の事だ。後ろを走るとドライバーの後頭部がヘッドレストの横からヒョッコリ飛び出し、まるで首振りアクセサリーのようにフラフラしている。前を走るとこちらのバックミラーを覗き込まれているような違和感を感じる。

なぜあんな不自然な姿勢で運転しているのか、前々から疑問だったのだが、観察を重ねて最近やっと気が付いた。彼らの骨盤は軒並み歪んでいるのだ。

駐車場を歩く若者の姿を観察してみるといい。今はタイトなボトムスが流行りだから骨盤に歪みの出ている人を見つけるのは簡単だ。で、彼ら彼女らがクルマに乗り込みシートに身を沈めると……十中八九は前述したような斜めに傾いた運転姿勢をとる。

あれ、危ないなぁ。あの状態でハンドルをまともに操作できるはずがない。

人間の両手は、胸前の真正面で最も繊細かつ力強く操作できるように出来ている。だからこそ自動車が今の姿となってから百年以上たっても“ハンドル”による操舵法が変更されないのだ。私の言っていることが分からない方は、ジャムの瓶のフタをきつく締め、真っ正面ではなく右前でも左前でも自分の真正面(正中線上)から瓶の位置をはずして開けてみてほしい。ほとんどの人はフタを緩めることさえ出来ず、よほどの力自慢でも開けるのに苦労するはずだ。

つまり、あの運転姿勢ではとっさの素早いハンドル操作など不可能に近いのだ。運転姿勢と事故を関連付けて統計を取る事ができれば、若年層ドライバーの事故の多さは、若さ故の散漫な注意力とスピードへの憧れだけではないことが証明されるだろう。このブログ、警察関係者の方は読んでないかな?

ついでにもうひとつ。

骨盤の歪んだ若者の多くが、今流行りの大きくて分厚いブランド物の長財布を右の尻ポケットに突っ込んでいる。もし、あれをポケットに入れたままドライバーズシートや椅子に着席しているのだとしたら、自らの肉体に楔(クサビ)をかませて余計に骨盤を歪ませているようなものだ。自分で自分の体を痛めつけているの、分かってないだろうなぁ。

そんなに厚い財布を持ってるんなら、それを持って、あしたか気功整体院のおっちゃんトコにおいで。骨盤を調整してヒップのスタイルを整えて、ついでに施術料分だけ財布を少し薄くして君たちの健康と交通安全に貢献してあげるから♪

おっちゃんなんか、ただでさえ入ってるお札の少ない薄〜い財布なのに、尻ポケットに入れておくのは苦痛なので、この際、小銭入れ、カードケース、マネークリップと財布の機能を三分割しようかと真剣に考えているのにさ。なお「お前の日常なら小銭入れだけで十分だろ」なんて、的を射たレスは当ブログでは受け付けませんので念のため(w

追記:一昨日、昨日と御宗家を我が家にお招きし、ささやかな御礼の宴を開きました。画像は御宗家にいただいた開院祝いのアレンジメントフラワー。現在、院内は満開の花の良い香りに満ちています。ありがとうございました。

2008年11月2日日曜日

“ズレ”は悪者か?

皆様のおかげをもち、無事に初日を終了。ありがとうございました……と夕べ書こうと思ってたのに、気がついたらバタンキューでした。プレッシャーを感じていたのでしょうか。横着者で物怖じしない性格だけが己の取り柄だと思っていたのですが、自分で考えるより神経は繊細だったようです。

さて、オープン前のサービス施術を含め、すでにかなりの数の静岡の方々に南龍整体術を体験していただいたのですが、そこで気付いたちょっと気になること。

私の施術を受けた方ならばご存知でしょうが、問診触診で骨格のズレや歪みをつぶさにカルテに書き出し、それらをひとつひとつ調整していきます。少ない人でも股関節〜骨盤〜脊柱、人によっては足首から頭蓋骨まで、ありとあらゆる部位を調整することになります。

その調整部位の多さから不安になるのでしょう。「私の体はガタガタなんでしょうか」とおっしゃり、施術後に体が軽くなり、痛みが消失したのを感じて、喜ばれながらも「やっぱり私の体はヒドかったんですねぇ」と複雑な表情をされます。

いえいえ、ちょっと待ってください。

これは私の考えですが、人間の体にとって『ズレ=悪』とは言い切れないのです。関節にはそれぞれの可動域にプラスして若干の“遊び”があります。この小さな遊びが捩じれ戻りしているのが通常の状態。ズレのまったくない人などいないのです。逆に、このズレがあるからこそ、不意の衝撃や無理な動きを行っても、大きな怪我や関節の故障をまぬがれることができているといってもいいでしょう。

例えるなら法隆寺の五重塔。釘を使わない木造の柔軟な構造によって、地震や強風などの外力を上手に分散して逃がし、千年以上も建ち続けている世界最古の木造建築です。

このズレが限界を超えると五重塔なら倒壊し、人体ならば痛みとなって表れるのです。さらに言うと、私たち人間は立ち座りしたり、歩いたり、重いものを運んだり、無理な姿勢を長時間続けたり、スポーツを楽しんだりします。四足歩行の動物たちは絶対に行わないこれらの活動により、骨格に限界を越えたズレが起こる確率はかなり高いのです。

ある意味、二本の足で直立することをおぼえた人間の宿業といっていいかもしれません。

限界を越えたズレが起こす痛みは「それ以上やると危ないよ!」という体からのメッセージと受け止めてください。そして、その時のために私たちがいるのです。この技術が四百年続いているのは伊達ではありません。必要とされているから引き継がれてきたのです。

おっと忘れていました。私が念には念を入れて調整する理由。せっかく来院いただいたのですから、痛みを解消するだけではなく、全身のバランスをトータルに整えることで感じられる『本来の自分の体』を感じていただきたいからなのです。上体が腰の上に無理なくまっすぐに乗り、しっかりと二本の足で地面をつかむ感覚は本当に心地よいものです。

事実「うわぁ〜、体が軽くなったぁ〜」と驚かれる方が多いですよ。ただし、どんなに軽く感じられるようになっても体重は減ってませんので、念のため(^-^;